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bravesoftの
プロフェッショナル社員

社員紹介 Vol.13 後藤 瑞貴

後藤の履歴書

若干25歳にして事業部長に就任した後藤、まだまだ勢いは止まらない!
  • 1995年10月 熊本県玉名市にて誕生
  • 2002年 4月 玉名町小学校入学
  • 2008年 4月 玉名中学校入学
  • 2011年 3月 文徳高校入学
  • 2014年 4月 東京電機大学入学
  • 2018年 4月 bravesoft入社
  • 2018年 7月 eventosのセールス職に配属
  • 2019年12月 社内表彰において2019年下期 社長賞受賞
  • 2021年 7月 Event Experienceグループ、Event DX Promotion事業部長に就任

後藤の流儀

はじめに

bravesoftが新卒採用を始めたのは、設立から10年が経過した2015年であり、翌年2016年4月より「新卒1期生」として、就職経験の無い学生の登用を開始した。

年によってバラツキはあるが、基本的に3名程度の社員が以降毎年入社しており、今年も3名の新卒社員が入社し、来年2022年には4名の入社が確定している。

「教育コストが掛かる」「成長したらすぐ辞めてしまう」など、歴史も浅く、大手ではないbravesoftが新卒採用を開始する際には色々な意見もあった。それでも決断に踏み切り、時間を掛けて教育環境を構築し6年が経った今、多くの新卒採用でbravesoftを選択してくれた社員達が活躍している。

本日、プロフェショナル社員と紹介する後藤は、本コーナー開始以来初めての新卒社員である。右も左も分からない新卒社員としてbravesoftに入社し、分からないながらも努力を続け、気づけばeventosのTOPセールスマン、そして先月2021年7月には部長にも就任した。

今回はそんな後藤のこれまでの挫折経験と、そこから這い上がった経験などを紹介させて頂く。

まだ入社3年であるが、この3年でかなり“深い”経験をする事ができた

坊主が嫌で特待生を辞退するも…結局はその高校に進学

1995年10月、熊本県は玉名市で後藤は生を受けた。
玉名市は熊本県の中心である熊本市から電車で30分程度の小都市であり、日本で初めて五輪に出場した金栗四三を輩出し、大河ドラマ「いだてん」の舞台にもなった事でオリンピックのゆかりの地となった事でも近年注目を浴びている。
そんな玉名市でホテルマンの父親と、保険会社で働く母親、6歳下の妹と4人家族の家庭の元、すくすくと後藤は育った。

幼少期はピアノを習ったり、近所の子供達とままごとをしたり、女の子と仲良くする事が多かった後藤だったが、玉名町小学校に入学してからはサッカーを始め、小学校時代はサッカーに没頭した。
市のクラブチームで小学校6年間サッカーを続け、熊本県でもベスト8の強豪クラブで毎日日が暮れるまでボールを追いかけた。またこの頃、現在プロのJリーガーとして活躍する松田天馬選手とも何度も試合をした事が印象に残っている。

また、英会話も6年間続けており、公文式で学習もしていた事もあり、スポーツマンでありながら勉強もそこそこできたクラスの中心的存在として人気者であった。

そして小学校を卒業し、玉名中学校に入学してからはソフトテニスに没頭した。
ソフトテニスを始めた理由はたまたまであったが、サッカーよりもソフトテニスが性に合っていたのか、みるみる上達もしていき、個人戦でも県大会でベスト4まで上り詰めることができた。
その分勉強は後回しになってしまったが…テニスに明け暮れた中学校時代を後悔していない。

そうして高校進学に際し、ソフトテニスで強豪である文徳高校から特待生の誘いを受けたが、後藤はこの誘いを丁重に断る。

「坊主にするのが嫌だったんです(笑)」

規律を重んじる文徳高校のソフトテニス部は「坊主」が強制であり、その雁字搦めにされるのを良しと思わなかった後藤は、他のテニス強豪校を受験するが失敗してしまい…結果としては文徳高校に一般受験で入学した。

そうして文徳高校に一般入学した後藤に対し、もちろんソフトテニス部からも入部の誘いはあったが、後藤が選んだ部活動は硬式テニス。
元々高校からは硬式に挑戦してみたい思いもあり、高校3年間も中学校時代に引き続きテニスに明け暮れたが、ボールの硬さが「硬式」に変わった。
そうして毎日20時くらいまでテニスに没頭しながらも、高校1年生の頃に出来た彼女と3年間を通してずっと交際を続ける、そんな今時の高校生だった。

そうして楽しかった高校生活も終盤を迎え、進路を迎えるに際し、後藤が志望したのは「熊本を出て東京に出たい」という思いであった。

「熊本に生まれた人って愛郷心が強くて、熊本で進学とか就職する傾向が強いんですけど、自分はやっぱり東京に憧れて、東京に行きたいと思いましたね」

学力はそこそこであったが、明朗活発な性格と、何よりもテニス部で活躍する姿を見ていた教員は後藤に文徳高校の指定校である東京電機大学を推薦してくれたが、後藤はすんなりとこの推薦を受け入れる訳にはいかなかった。
私立大学である東京電機大学は学費も高く、“母親に迷惑をかける事となる”
それが第一に浮かんだ。

後藤が中学2年生の頃、愛する父親が急逝した。
その頃、ショックで暫く立ち直る事もできなかったが、テニスに没頭する事などで時間が解決し、少しずつ悲しみを癒す事ができた。
そうしてこれまでの父親に代わり、母親が一家の主として家計を支えていく上で”母親に迷惑をかけないように”という事を優先事項として考えるようになった。
そんな中で、学費が掛かる東京の私立大学に行きたいという事をなかなか言い出せなかったが、母親は快く送り出してくれた。

「頑張るしかない」

そんな思いで上京した後藤であったが、後藤が進学した東京電機大学で後藤は挫折を経験する。

「エンジニア」としての壁に直面

そうして2014年4月に東京電機大学 情報メディア学科に進学した後藤は、授業でJava、C++、HTML、CSSなどプログラミングを学習する事になったが、授業内容が全く分からない。全くついて行けない。

周りのクラスメイトは2通りであり、1つは元々学生時代からプログラミングを嗜んでいたタイプ。彼等はむしろ「こんな初歩からやるのか」と不満気でありながらも、培った経験を元に授業を100%理解していた。
そしてもう1つは後藤と同じようにこれまでにプログラミングの経験がないタイプ。しかしながら彼等と後藤との決定的な差は「意欲面」であり、0から始めたはずの彼等はどんどん真綿が水を吸収するかのような勢いでプログラミングの知識をつけてきて、徐々に壁が出来つつあった。

授業についていく事ができなかったのは、授業以外の生活のウェートも大きい。
親に負担をかけない為にも、アルバイトに全力投球した。ほぼ毎日居酒屋のスタッフとして毎日深夜まで、休前日は朝まで遮二無二働いた。

更には趣味としてテニスからも離れる事はできなかった。
体育会テニス部に入部し、最終学年時には部長としてテニス部にて尽力した。

結果、部活とアルバイトに占める時間が多く、授業に関してはついて行くことこそできなかったが、持ち前の要領の良さで、テストなどを切り抜けることはできたが、常に差を感じていた。
不安や焦りも感じていた。

そんな後藤も最終学年を迎え、就職活動を考えるようになった。
その中でエンジニアの学部を卒業するのであれば、エンジニアになるべきという安直な理由でエンジニア職での転職活動を開始したが、自信は無かった。
それ故に「エンジニアとしての研修制度がしっかりしているところ」という条件で就職活動を開始する。

そんな最中に就職エージェントが紹介してくれた会社がbravesoftだった。

「初めて、bravesoftのホームページを見た時に、“色々アプリを作っていて楽しそうだな”とか、”ベンチャー企業感があるな”と思いましたが、その頃実は研修がしっかりしている大手企業を中心に考えていたので、とりあえず話だけでも聞いてみるかという思いでまずは聞いてみました」

そうして1次面接にて、初めて田町のbravesoftのオフィスに訪れた数分後、後藤は近くの喫茶店に連れられて移動した。その面前にはbravesoft代表取締役CEOの菅澤の姿があった。

「いきなり社長が出てきて、カフェで面接で“大分ぶっ飛んでるな”と思いました(笑)その中で僕が何かを喋ったというよりかは、社長のビジョンだったり夢をずっと聞いていて…そこで、面白そうだと思って、選考を希望しましたね」

そこからはトントン拍子に進み、その後の面接を経て内定に至った。
その時は“エンジニア職”としての入社だった。

そうしてbravesoftから内定をもらった後藤であったが、当時のbravesoftの伝統として、同じく内定を頂き、共に新卒入社する同期と共に取り組む“内定者課題”なるものが存在した。
そこで未来の同期と、ともに社内システムの開発に取り組んだが、そこでも後藤は歴然とした”差”を感じた。

「同期とレベルの違いを感じていて…不安でしたね。当たり前のように同期が会話している内容も分かりませんでしたし、正直やっていけるのかが不安でした」

厳しくも楽しかった学生時代を懐かしく振り返る。

「営業」としての壁に直面

そうして2018年4月1日、晴れて後藤はbravesoftに入社した。
本来、3月までに前述の内定者課題を終わらせる予定であったが、思いの外作業が難航してしまい、4月から6月の3ヶ月は部署への配属は行わずに、集中して内定者課題を終わらせる事となった。

そうして2019年7月、後藤はeventosへの配属が決まったが、配属元の職種は”営業職”であった。

「正直ホッとしましたね(笑)エンジニアでは厳しいと思ってましたし、元々人と話すのは好きだったし居酒屋でもずっとやってましたので、営業職で就職活動もしようという思いもあったので」

机に座ってずっとプログラミングをするエンジニア職よりも、人と話してコミュニケーションを図り、課題を解決していく営業職の方が後藤は自分には適していると感じ、その辞令に安堵もした。
とは言え、安心したのも束の間、営業の経験があったわけではない後藤は配属直後、当時後藤の上長であった岡にかなり厳しく叩き込まれた。

「研修が無い状態でいきなり営業同行からスタートだったんですけど、もう岡さんとお客様が何を喋ってのか全然分からなくて…色々と絞られましたね(笑)」

これまでアルバイトでは電話や接客対応を行なってきた経験もあったが、ビジネスの世界ではクライアントは“bravesoft様”と打ち合わせを希望しており、そこには新人もベテランもない。会社を背負っている以上、新人である事はクライアントには言い訳にならないので、その基準に至っていない言動に対し、岡は厳しく指摘した。特に報連相の部分やタスクの漏れなどに関しては厳しく岡に指摘された。

そんな岡は、当時の後藤の印象を懐かしそうにこう振り返る。

「当時は“右も左もわからない新卒!”といった印象で、”鍛えるのはなかなかハードだな…”と思った事を思い出します。ただ、色々と話している中で、表向きはニコニコ、ヘラヘラしているその裏腹に、過去の経歴などから”不屈の闘志”があることを感じていました。エンジニア志望とか何志望とかと言う目線では無く、やるといったら最後まで諦めない男に、私の持つ全てのノウハウを新卒のうちから彼に伝授できれば、すごい事が起きるんだろうなというワクワク感でいっぱいでした」

その岡のコメントのように、後藤は多くのことを岡から吸収した。
対話で教わるのではなく、岡のテクニックを盗んだ。
クライアントとのコミュニケーションの取り方、交渉のスキル、駆け引きなど…列挙に暇ないが、上司であり営業の大先輩である岡から、社会人1年目の頃に多くの事を後藤は学んだ。

しかし、入社してから1年、後藤は自分の力で1件も受注をする事ができなかった。
同期は自分が叶えられなかったエンジニアとして入社して、どんどん多くのプロジェクトに関わり、エンジニアとして少しずつ会社に貢献している。
「それに比べて自分は何をやってるんだろう…」と自問自答する日々が続いた。

そんな中で、岡はこのようなアドバイスを後藤に与えた。

「人によって、ボトルネックとなることは様々ですが、彼の場合はこうでした。

お客様目線のでは無くツール売りの営業になってしまっている。

実は多くのフォローを受けて受注している事への理解がたりていない。

①については、“お客様は目的を果たせればツールはどれでも良い!”と言う考えが不足していましたね。大事なのはお客様の課題をずれなく理解することですので、自社の製品を説明する前に”お客様が何をどのように解決したいか”を、後藤さん自身が理解・納得するまで先にヒアリングするようにアドバイスしました。
②については、シンプルに”どんな敏腕セールスマンでも一人の力で受注なんて成し得てない”、”社内社外のステークホルダーの力で受注できている”、”その人達への感謝の気持ちを絶対に忘れてはいけない”と言う点をアドバイスしました」

その指摘を後藤は真摯に受け止めた。
“物売りになってはいけないこと“、“感謝の気持ちを忘れないこと”
そのような意識の変革、更には経験を経て、少しずつ自信がついてきた。

そして営業担当として2年目を迎えた2019年、長かった不遇の時期も終わり、ついに自分ひとりの力で“初受注”を経験する。
クライアントは全世界でフィットネスジムを展開するAnytime Fitness。

クライアントが開催する世界中から関係各社が集まるカンファレンス“ANYTIME FITNESS JAPAN ANNUAL CONFERENCE
2019“において、イベントプラットフォームの相談を受けた。
後藤が考えたのは岡の教えである“物売りになってはいけないこと”、“感謝の気持ちを忘れないこと”と言う点を意識した。

ここで後藤は、当時eventosチームにいた“誰よりも筋トレを一生懸命励むマッチョ社員”を営業に同席させるプランを考え、実施に至った。
そうしたクライアントが展開するフィットネスジムに足繁く通う社員を同席させる事で、アイスブレイクが成功してクライアントと友好にコミュニケーションを図る事ができた。同僚の力を借りて、このような関係性を構築できた事は”感謝”以外の何者でもない。

円滑な雰囲気の中で商談を行うと、先方の要望の最適解はeventosであることを確信した。
正直に“こういう課題解決を行える”と言う部分のメリットを伝え、要望の中でできない事もあることを正直に伝え、物売りではなく課題を解決することに注視した提案を行い、その結果、初めての受注をする事ができた。

岡の教えを素直に受け止め、実践した事で成果を出す事ができた。
そこで初めて受注を経験した、そこから後藤の勢いは止まらなかった。

「なんとなく、感覚を掴めるようになった実感が湧きました。そこからは営業が面白くて、大型案件だったり受注ラッシュができるようになりましたね」

そうして受注を繰り返した後藤は、その年の年末に社員でただ一人獲得できる、社長である菅澤が認めた社員のみに送られる社長賞を新卒2年目で受賞する事ができた。
その受賞を含めて、後藤が一気に急成長し受注ラッシュできるようになった背景を岡は嬉しそうにこう語った。

「後藤さんの急成長は、ある日突然に覚醒したと言うよりかは、毎日人の2倍・3倍で成功・失敗体験を重ねていき、目の前の壁から一切逃げずに立ち向かい続けていた結果が突如花開いたと考えています。周りからは“すごいなあ”と感じるかもしれませんが、彼にとってはただ本気で生きていた結果にすぎないのかなと(笑)」

ほんの些細なきっかけで人生は好転するが、後藤もひとつの受注で大きく成果を上げることができた。

新卒社員ではなく、1人前の男として

そうして2021年、後藤はbravesoftで4度目の春を迎えた。
新卒4年目の後藤は、齢25にありながら最早eventosチームのセールスエースとして、bravesoftの中核としてコミットし、eventosの多くの契約を獲得してきた。
売上に加えてセミナーでの登壇、パートナーの開拓なども幅広くこなしながら、その中で視野を広めて能力を高め、2021年7月からはひとつの事業部の部長を任せられた。

部長になってからは、考え方が少しずつ変わってきたと後藤は振り返る。

「今までは自分の事だけ考えていたんですけど、部長になって視野が広がったと思ってます。自分がやらなきゃいけない所は全力でやりますが、任せる所は任せる選択ができるようになりましたし、部長になってよかったと思ってます」

大手企業・安定企業に入社した新卒が過ごした3年と、後藤が過ごした3年。同じ時間を過ごしたが、その時間の“濃さ“に関しては千差万別であり、長い将来で見た時にはまだまだ分からないが、少なくともbravesoftにおいて後藤が過ごした3年間で、後藤は知識を積み、経験を積み、結果を残し、今の地位を獲得した。
しかしながら社会人3年目を迎えて、まだまだ後藤の夢は志なかば。
後藤が最も叶えたい“eventosのグロース”に関して、この3年間でかなり前進はしたが、目標には程遠いが、その“eventosのグロースが楽しい”と語る後藤が目指すはまだまだ果てしない。

当時の上長であり師である岡にも、現時点で後藤に期待している事を聞いてみた。

「彼はとにかく負けず嫌いですし、成長意欲も高い。放っておいてもかなりのビジネスマンに成長するかと思います。その中で強いてアドバイスするならば“自身の人生におけるビジョン”を見つけて欲しいですかね。今は人に喜んでもらう為にという思いが強いですが、自分のビジョンが見つかった時、そこを目指すという道が開けた時、彼の成長スピードは更に増すのだろうと期待しています」

そして最後に、岡にとって今、後藤はどのような存在なのかを問うてみた所、シンプルな答えが帰ってきた。
これを本記事の結びとしたい。

「もう後輩でも部下でもなく、同じ会社で働く”ライバル”だと思っています」

これからは教わる側ではなく教える側として、後藤の成長は続いていく。

記)

おすすめの一冊

NARUTO

僕からは周りがビジネス書とかが多いので漫画を(笑) 僕のおすすめの一冊は、「NARUTO」です。 NARUTOはジャンプ漫画ではありますが、僕にとっては生き方の教科書的です。 この漫画には、自分とはどんな存在なのか?仲間とは何なのか?夢とは何か?生きるとは何か?という問いが詰まっている一冊です。 各キャラクターに特化しているものがあり、特に主人公のナルトは日頃はオチャラケているけどやるときはやる。みんなに認められるために、どんな状況でも諦めず的に向かっていく。そしてその諦めない気持ちが周りに伝染し多くの人に影響を与えている。 この漫画に出会ってからは、自分が諦めないことで人に影響を与えれれば良いなと思ってます(笑) (2021年8月06日 記)