bravesoftの
プロフェッショナル社員
社員紹介 Vol.17 伊藤 舞
伊藤の履歴書
- 1995年5月 兵庫県姫路市にて生誕
- 2002年4月 四郷小学校 入学
- 2008年4月 四郷中学校 入学
- 2011年4月 兵庫県立姫路飾西高等学校 入学
- 2014年4月 高知大学 人文学部 国際社会コミュニケーション学科 入学
- 2018年4月 株式会社きちりホールディングス入社
- 2019年4月 株式会社ネオキャリア入社
- 2020年11月 bravesoft株式会社 入社 コーポレートカルチャー本部に配属
- 2021年7月 Best Chalactor Award受賞
伊藤の流儀
はじめに
日本を代表するアイドルグループ「ももいろクローバーZ」がここまで支持を集めて、国民的トップアーティストにまで成長したのには理由がある。
彼女達はライブのステージにおいて、2時間全力で汗だくになるまで全力で踊り、声が枯れるまで歌う。
性格も純粋で、ひたむきで、一生懸命で、その振る舞いを応援したくなり、応援するファンを多く獲得していたが、ここまで支持を集めた最大の理由は「ももクロを見ていると元気になる」という理由であると、2012〜2016年位まで熱狂的なモノノフ(赤推し)であった筆者は推察する。
「人を元気にする存在」
それはひとつの才能であり、組織にとってそのような能力を保持した人間は希少である。
今回紹介するプロフェッショナル社員の伊藤舞は、社会人経験は浅く、仕事においても細かい部分でのミスや漏れはまだまだ多く、ビジネスパーソンとしてはまだまだ発展途上ではあるが、「人を元気にすること」に関しては、会社の誰よりも秀でており、bravesoftを元気にしてくれるプロフェッショナル社員に相応しい存在であり、人と人を繋ぐ人事職は適任であると筆者は考える。
それでは今回は伊藤がこれまでにどのような経緯を経て、現在の人事職に至ったかを掘り下げて紹介させていただく。
将来の夢は海外で活躍するパティシエになること
1995年5月、兵庫県姫路市にて伊藤は生を受けた。
家族構成は両親と3歳年上の兄との4人家族。お調子者のお父さん、キッチリしてるけどちょっと抜けたところのあるお母さん、そしてそんなに喋るタイプでは無いけれど頼もしいお兄ちゃん、愛情と笑いの絶えない家庭で伊藤は育った。
幼少期の伊藤は人見知りで引っ込み思案、いつも兄の後ろを付いて回るそんなおとなしい少女だった。
小学校は地元の四郷小学校に入学。
低学年の頃は習い事でスイミングスクールに通っていたものの幼少期と変わらずにおとなしい子供であったが、小学校4年生の頃に仲良く遊ぶようになった友達の影響で一転、今の伊藤に繋がる元気でアクティブな子供となった。
一輪車や雲梯、駆け競べなどに明け暮れ、日が沈むまで校庭で遊ぶような生活に一転した。
好奇心だけは旺盛で付録目当てで進研ゼミのチャレンジを行うも続かず…授業よりも休み時間や放課後で活躍する、そんなありふれた少女だった。
中学校も持ち上がりで地元の四郷中学校に入学し、兄の影響もあり陸上部に入部する。
短距離走や走り幅跳びに没頭し、体育祭ではリレーでアンカーを務める。その際は生徒をごぼう抜きして、一番にゴールテープを切ることを全力で目指していた。
「この年くらいから自我が芽生えたというか、“褒めてほしい”という思いが強くて目立ちたがり屋になり、競争心を覚えるようになりました」
競争心の強さは勉学にも作動し、英語の授業でメキメキと実力をつけ始めていた。
この頃、お菓子作りにも熱中しており、将来の夢は海外でパティシエになること。そのような思いで受験勉強にも勤しみ、姫路市内でも指折りの進学校である姫路市飾西高等学校に入学。
更にランクの高い高校にも行ける可能性はあったが、飾西高を選んだことには理由がある。
「英語を勉強したくて、英語に力を入れていて“グローバル・コミュニケーション・コース”がある飾西高校を選びました。家から結構遠かったので毎日電車通学がしんどかったですが……」
飾西高校では友達にも恵まれ、とても楽しい3年間を過ごすことができた。
今でも帰郷の際には連絡を取り合う、一生涯続く親友も作ることができたし、部活も茶道部と陸上部のマネージャーを兼任した。
「陸上は好きでしたけど辛かったので、茶道部に入部したんです。ですが茶道部の顧問が陸上部の顧問でもあったので(笑)選手としてではなく、マネージャーとして入部して欲しいと言われて、そっちも入部しましたね」
茶道部は「お菓子が食べられる」と言う軽い気持ちで入部したが、色々な式典や催しなどでの事前準備・おもてなしなどを行うことが非常に楽しかった。陸上部マネージャーも選手のマッサージやサポートなどの周辺業務を行ったが、サポートした選手が結果を出すのは嬉しかった。
更には高校時代は生徒会にも参加。体育委員長として体育祭の企画・運営を行い、学内イベントを盛り上げることに尽力した。
このような部活動・生徒会活動を通して「おもてなし」や「サポート・裏方業務」を学んだことは、図らずしてそれから10年後に活きることとなるが、それはまだ先の話。
そうして楽しかった高校生活を終えて、英語をもっと本格的に学びたい思いで地元の最難関、神戸大学を目指すもセンター試験の結果を見て断念。北九州市立大学の前期試験に挑むが残念ながら不合格の結果に。その後、後期試験にて英語に力を入れていた高知大学を受験し、見事合格。
この高知で過ごした4年間が、今後の伊藤の人生に大きく影響を与える4年間となった。
「働く」ことの楽しさを体感
これまで縁もゆかりもなかった高知での大学生活も、伊藤にとっては非常に充実したものとなった。
高知県は森林面積が83.4%を占める自然に溢れた土地であり、自然が豊かで非常に暮らしやすく、一度生活したら離れられない位、多くのフォロワーを生む土地として有名であるが、そのような自然の中で毎日のように友達と遊ぶ、楽しい大学生活を過ごした。
伊藤が専攻した人文学部 国際社会コミュニケーション学科の英語の勉強も非常に有意義な学びの場であった。英語の実力は向上し、この時期にはイギリスに1ヶ月留学も行い、伊藤の人生において非常に価値のある体験となった。
そのような形でプライベートや授業に実りのある大学生活を過ごした伊藤であったが、それよりも伊藤が充実していたのはアルバイト。
「大学に入学してすぐに焼肉屋でアルバイトを始めたんですけど、もう仕事が楽しくて楽しくて…。週6日くらい働いて、メチャクチャ稼いでました(笑)」
これまで高校生活において無償で行っていた「おもてなし」「サポート・裏方業務」をすることで、褒賞も貰えることに意義とやり甲斐を感じた。アルバイトをすることは生活費を稼ぐ為の手段であったが、気付けば働くことが目的となっていた。それだけ従業員やお客さんに恵まれたアルバイト生活であった。
更に、アルバイトにおいて伊藤に転機が訪れる。
これまで焼肉屋のアルバイトで伊藤を育ててくれた先輩スタッフから声をかけられ、別のアルバイト先でスタッフが足りていないので手伝ってくれないか、という依頼を受けた。
伊藤は二つ返事で快諾し、別のアルバイト先での活動がスタートした。
そこは自営業で営む店舗で、伊藤が入社したタイミングで新店舗立ち上げの話が出ていた。そしてオープニングスタッフとして参画することが決まったのだ。
「シフトは週6から週7に変わりましたね(笑)オープニングスタッフとして、一緒にメニューを考えたり、店舗のレイアウトを考えたり、広告について考えたり、開店後のオペレーションを考えたり色々やり、凄く楽しかったです」
そうして新規事業のオープニングスタッフとして働く傍ら、就職活動も伊藤には迫っていた。
学んだ英語を駆使することを第一優先に考え、この時期には英語の教員を目指して教育実習を行い、教員免許も取得したが、自分が一番やりたいことは大学の4年間で変わっていた。
「英語も子供も好きだったので教員になると考えていましたが、それ以上に飲食業界に魅力を感じたので、そっちで就職しようと決めて、迷わなかったですね」
オープニングスタッフとして働いた店舗からも正社員にならないかと誘いは受けたが、元々就職は関西に戻ってと考えていた。
就職活動では飲食業界に絞り、業界最大手きちりホールディングスから内定をいただき早々に終了。楽しかった4年間の高知の生活を終えて、関西に戻り、大阪は難波の店舗運営を任された。
3日間の座学研修以降は即実践。店舗の業務を行い、店長代理を経て同期では1番のスピードで早々に店長を任された。
また、この際のこの記録は当時の最短昇格記録であった。
業務に関しては厨房・ホールでの対応がメインであったが、店長になってからは20名程のアルバイトの管理、新業態店舗のレイアウト変更、hot pepparなどでの集客、googleレビューや食べログなどの口コミの確認など、やる事は尽きなかった。
結果として前年対比170%の売上を達成した。
「仕事は楽しかったんですが、予想通り忙しく・・・毎日18時間とか働いていて、休みも仕事してという日々でしたね」
そんなある日、業務のイロハを教えてくれた尊敬する先輩が会社を退職した。
父親はずっと同じ会社で働き、大学時代のアルバイト先の先輩もずっと飲食店で働いていた為、「退職」「転職」という行為にリアリティがなく、その頃まで意識したことが無かったが、そのタイミングで「このまま自分はこの仕事を続けてて良いのか」ということを自問した。
「元々やりたいと思って決めた仕事だったのですが、今は若いから楽しくできているけど将来を考えた時に、“このままでいいのかな”と思うことが増えて、もっと若いうちは色々な経験をしたいと思い、転職を決意しました」
そこで転職活動を開始し、持ち前の人当たりの良さと内に秘めた闘志を買われて、大手人材会社の姫路支店から内定をもらうまでそう時間は掛からなかった。
そんな最中、飲食業界の同僚を通じて、知り合った知人の転職エージェントのMさんにこの件を報告した際に、今後の人生を左右するアドバイスをもらった。
「その方は東京で働いている方なんですけど、“若いうちから東京に来たほうがいいよ”とアドバイスをもらったんです。その発言に感化されて仕事も住む場所も決まってなかったんですけど、決まっていた内定を辞退して東京に行くことにしました(笑)」
1年の飲食店勤務で仕事の楽しさを知り、「もっと大きい仕事をしたい」「もっと色々な人の役に立ちたい」と思う伊藤が東京で働くことは必然であった。
そうして前述のMさんに、ネオキャリア社という会社を紹介してもらい、エントリーからわずか16日という最短記録で内定を獲得し、第2の社会人生活がスタートした。
伊藤がネオキャリアで担当したのは「キャリアカウンセラー」の仕事。
簡単に言うと“学生と企業を繋ぐ業務”となり、就職活動をしようとしているけど何をすればいいか分からない、就職活動に迷いがある、といった悩みを持つ学生と面談をして、その学生にあった就職先を探して新卒社員を求めている企業に紹介する新卒向けのエージェント業務がメインとなった。
伊藤も社会人2年目であり、全くの異業種からの参入であった為、キャリアカウンセラーの業務は覚えることが多く、分からないことだらけであったが、持ち前のバイタリティと吸収力で早々に業務をキャッチアップすることができた。
そして何より、仕事相手である「学生」と年齢が近い分、課題や悩みの共感を行える存在として学生からの支持を集め、担当した学生を会社説明会に紹介し、面接対策を一緒に考え、内定後のフォローなどをするのは楽しかった。
「紹介した学生が内定先の企業様に“伊藤さんが紹介してくれた子、頑張ってるよ”と言ってくれた時だったり、内定が決まった学生に感謝される時は本当に嬉しかったですね」
仕事にはやり甲斐を感じ、キャリアカウンセラーの業務は天職と感じた。
しかし業務を遂行していく上で、伸び悩みを感じ、学生側のキャリアカウンセラーに対し、企業側の「法人担当」への異動を志願した。
「キャリアカウンセラーをやる上で、“企業側の理解”をする必要があると感じたんです。やはり色々な企業とやり取りをして“人事の方はどういう事を考えているんだろう?”という企業側の理解をできた方が、より学生にマッチした企業を紹介する事ができてキャリアカウンセラーとしてステップアップできると思ったので、志願しました」
より厚みのあるキャリアカウンセラーになるべく、色々な企業を知って、学生にとって最適な企業を紹介することは伊藤のキャリアアップに対して必然と考えたが、法人担当の業務に関して第一に優先しなければならなかった業務が新規開拓。毎日何件もアウトバウンドコールを行った。
そうして日中はテレアポを行い、定時後は企業の情報をキャリアカウンセラーに展開・共有する資料作りと言う業務が続き、毎日遅くまで働くことが多かったが、仕事は楽しかった。
「キャリアカウンセラー」「法人担当」と1年間で2つの部署を経験し、人と人を繋げる業務を少しずつ覚えて、仕事が楽しくなってきたタイミングで、進めていた仕事の「停止」を余儀なくされる事象が勃発する。新型コロナウイルスの感染拡大の影響である。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、世界中の企業がダメージを受けたことは記憶に新しい。
経済活動が鈍化することで、多くの企業が“採用”に慎重になってしまった。このことは伊藤が進めていた業務において大きな枷となり、今まで当たり前のように行っていた業務ができなくなってしまった。
進めていた業務はストップし、部署から伊藤を含めた何名かの先鋭部隊が駆り出され、新卒といっしょに新電力の営業という業務がスタートした。その後、派遣事業にて会社がとってきた案件にアサインされ、ひたすら電話対応をする環境となった。
それでも前向きにその仕事を楽しもうと全力を尽くしたが、当時はコロナの収束が読めず、不安定な状況下において、何度も会社の方針が変わり、自分はこのままこの環境下で働いていて良いのかと先行きが不安になった。
自分から動き出さなければ何も変わらない。そう思ったタイミングで、再度ネオキャリアを紹介してくれた転職エージェントのMさんに色々と相談をした際に、「それであれば、伊藤さんにぴったりの会社があるけど紹介しようか?」と紹介を受けたのが、bravesoftという会社であった。
たった1人で始めた人事
紹介されたbravesoftのホームページを見た、初めての印象を伊藤はまだ覚えている。
「知っているアプリを多く作っていることと、メンバー一覧ページなどで社員の方の情報が出ているのを見て、“雰囲気が良さそうな会社だな”と思ったのが第一印象でした。更には村山さんや助川さんのプロフェッショナル社員紹介を見て、“学歴や経験は問わず、異業種からでも挑戦できて、活躍できている社員がいる良い会社だな”と言う印象を持ち、選考前から会社のファンになりました」
そうして1次面接は、当時兼任で人事・採用部門を管掌していた執行役員の西村が行った。
その時の印象も伊藤は覚えている。
「営業職で入社するつもりで考えていたんですけど、これまでの私の職歴で大事にしてきた“人との繋がりを重視したい”という話をしていると、“であれば人事職はどうですか?”というお話を頂き、可能性を広げてもらえたことに感動しましたね」
元々、人事の仕事をやりたいという思いはあった。
しかしながら人材業界での経験も1年ちょっとであり、そもそも企業における人事・採用業務に関しての経験が圧倒的に足りていないということを自覚していただけに、この申し出は嬉しかった。
その際に伊藤を面接した印象を、西村は懐かしそうにこう振り返る。
「第一印象からズバ抜けて明るく、人当たりが良い人だなと思いました。関西系のトーンで物腰もやわらかく、引き込むチカラがあり、“誰かの為に何かをしたい”、“相手の喜ぶ姿が見たい”、“心が動く瞬間や感動体験に関わりたい”と、貢献欲求が高く、人事職は適任と感じましたね。bravesoftの理解はまだ足りていませんでしたが、後からセットできないコミュニケーション能力は抜群でしたので、是非入社して欲しいと思いました」
そうしてその直後の社長面接も、伊藤は昨日のことのように覚えている。
「社長面接は結構緊張して挑んだんですが、とにかく社長の熱い思いに圧巻しました(笑)その中で、“最強のものづくり集団には最強の人事が必要だ”と言われて、“是非最強の人事になりたい!”と思い、そして内定を頂き、オファーもその場で快諾させていただきました」
そうして2020年11月、晴れて伊藤はbravesoftに入社した。
しかしながら当時のbravesoftは、これまで長年人事・採用を担当していた担当がbravesoftを卒業し、社長室長の西村が兼任で人事部門を担当する状況であり、圧倒的に人手が足りていない状況であり、純粋な人事専任メンバーは伊藤のみ。前途多難の幕開けであった。
入社当時に選考の終盤に進んでいる方が何名かいたので、まずはその方達のフォロー連絡を行いつつ、社内での共有・展開などを行い、bravesoftの採用基準を少しずつインプットしていった。
同時に会社の事業内容や業界での立ち位置、目指す方向性、更にはbravesoftで働く従業員について覚えることは大変であったが、辛いとは思わなかった。
そうして少しずつ業務に慣れていく中で、人事業務に加えて広報業務も任されることになった。
会社に対するアウトプットを独自のスタイルで発信し、多くのプラスアルファを生み出すことにやり甲斐を感じ、自分から手を挙げてやりたいことに勇猛果敢にチャレンジした。
具体的にはブログ記事の作成、SNSの更新、更にはYouTubeにも登場して会社の魅力を自分の言葉で全力で伝えた。
更には社内を明るくする雰囲気作りに関しても、伊藤の活躍は目を見張るものがあった。
自席の近くを通りかかる社員には当たり前のように挨拶し、一言二言会話を自然に行う。シャイな社員が多いbravesoftにおいて、伊藤のようにコミュニケーションを多く図る社員は稀有であり、その光景はいつしか日常へと代わった。
そうした姿勢、雰囲気作り、取り組みなどは周りからもしっかりと認められ、入社から約半年後の社内のライトニングトーク大会「Brave Lightning Talk 2021 Summer」では、この半年で会社を最も盛り上げた社員に与えらえる「Best Chalactor Award」を圧倒的得票数で受賞。
入社半年で、会社にとって無くてはならない存在へと成長した。
bravesoftで働いている人の幸せを
「自分が採用に関わった人が活躍してくれているのは本当に嬉しいですし、励みになりますね」
入社してからこれまでに、多くの方と面接を始めとするやり取りを行ってきた。
人と人とのやり取りはどうしても誤解や軋轢を生んでしまう為、伊藤は直接のコミュニケーションを重視した。時間が許す限りなるべく多くの人と実際に話し、メールや文章では伝わらない行間を、直接対話をすることで埋められるよう取り組んだ。
更には応募者に対し、面接担当者のインタビュー記事などを「次回の担当者はこの方です」とメールで添えて送ったり、選考通過者には面接官のコメントを抜粋して「この辺を評価しています」などと添えて伝えるなど、プラスαの対応に取り組んだ。
その結果、bravesoftに入社した社員からは「入社前の不安をサポートしてくれた」「入社日まで手厚くフォローしてもらえてよかった」「伊藤さんがいたからbravesoftに入社した」など、応募者が入社に至るまでの一押しを採用担当として行っており、多くの評価をもらっている。
「その反面、内定辞退や選考自体は本当に辛いです」
ビジネスとしてではなく、人と人との関係性を重視して全力で面接・面談に取り組むため、それが叶わなかった時は本当に辛く、経験を積んだ今でも落ち込んでしまう。
それでも前を向いて、理想の会社を実現するために伊藤は挑み続ける。
「会社はこれから上場を目指していきますが、上場する上での土台固めは人ですので、採用力をもっともっとあげていきたいと思っています。1人から始まった部署ですが、今では多くのメンバーも増えていてやりたいことも多くできているので、もっともっと自分が先陣を切って走っていきたいですね」
IT業界に限らずだが、現在多くの企業において“採用”は難しくなっていると伊藤も肌感で感じている。
採用コストも上がっており、正解の無い非常に難しい業務にはなるが、難しいからこそ伊藤はやり甲斐を感じているし、自分が成長することで会社も成長できると信じている。
「bravesoftで働いている人が好きだから、その人たちの幸せを実現したいですね」
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